人間が、普遍的に有する信仰心の具現化としての藝術は、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)において顕在化され、六境(色・声・香・味・触・法)と結びつき、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)によって認識される。
併し、これらに固有の実態はなく「無」とされていることから、同時に一切の「有」としても扱うべきものである。
佛教語大辞典を著した中村元は、藝術を以下のように、二項対比的に記している。
【藝術】 ① 仏教僧の示した奇蹟のこと。<『晋書九十五巻』>
② 世俗のもろもろの技術のことか。<『出三蔵記集』十三巻『大正新修大蔵経』五十五巻九十七中>
【技術】 ① 技芸のこと。[S] kala<Lank(唐)>
② 奇蹟を示すこと。<『出三蔵記集』四〇八ノ十七>
③ 呪術のこと。<『長阿含経』十三巻『大正新修大蔵経』一巻八十四中>
これは、本来一つであるものの各方面を、視覚化あるいは文字化するときに有効な手段である。
実際の藝術作品や経文などにも、このような表現を見ることが出来る。
<金剛界曼陀羅図・胎蔵界曼陀羅図>
<色即是空・空即是色> <上求菩提・下化衆生> <明暗>
普化宗尺八では、「一音成佛(いっとんじょうぶつ)」という表現を使う。
非物質である「意識」と物質である「*-1實有」は、同時に起こっている同じものとして、有無を*-2一音で顕現させる。
一音は、*-3一切であるから、其の竹(尺八)から出る凡ての音は、無音を背景に自在に響かせることが出来る。
このように無限にある音から、伝統的感性により決定された、「節(旋律)」・「音色」が、唯一無二の音聲として響くように、それらの個性に合わせて製管された「地無し尺八」と吹奏技法によって、楽曲として纏められ、吹かれるのが、普化宗尺八楽である。
*-1實有(じつう):真実にあること。実在。実際に存在すること。
*-2一音(いっとん):一つの音声。同一のことば。仏は同一のことばをもって説法しても、これを聞く衆生はすべて自分の性格や才能・素質に応じて異なった理解をしたという。 広義には藝術音楽の音聲、狭義には普化宗尺八の音。(私意)
*-3一切(いっさい):すべて。よろず。ことごとく。
普化宗(ふけしゅう)
江戸初期、市中に溢れていた浮浪の民(佛徒、芸能者、浪人武士)。
「*心は高く霊界を慕へども足は地上を離るること能はざるそのあこがれ、耳に虚空の妙音の天上にのぼり行くを聞けども、身は片雲の風にさそはれて漂泊に終る人生の悲哀」。
諸行無常を共感した人々の一群から、尺八を吹いて諸国を巡る集団が現われた。後に、虚無僧(こむそう)と呼ばれる行脚僧である。この虚無僧たちが自称した宗派を普化宗という。
「* 」:中里介山著、『大菩薩峠・鈴慕の巻』の一節。
普化宗尺八
合奏を容易にするために、調(Key)と絶対音高を一定にした「現代の尺八」に成る以前に吹かれていた「*地無し尺八(じなししゃくはち)」。そのなかでも、十七世紀から十八世紀中頃まで、「*普化僧(ふけそう)」により吹かれていた、特殊な調律を施した地無し尺八をいう。
「*地無し尺八」:管内(竹の内部)に「地(じ)」と呼ばれる異物を付けて調律する尺八に対して、異物を付けることなく、竹の自然な状態を極力保持しながら調律した尺八。
「*普化僧」:教義・経文を持たず、ひたすら尺八を吹いて諸国を行脚した修行僧。「尺八・禅・剣」を一体として修めていた虚無僧集団とは一線を画した活動をしていた。